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家の習慣

先日、春一番だか二番かの風が吹いた。

それはそれは猛烈な風だった。

千葉の勝浦では風速30メートルを超えていたらしい。

まさにちょうどその頃、私は運良く所用の為に勝浦にいた。

市内でも砂が巻き上げられ、目を開けているのもやっと。

その風の為に、ほぼ一日電車の遅延、運休が相次いでいた。

帰りの電車、私の最寄駅までは通常1時間程なのだが結局3時間強かかる程、ダイヤも猛烈に荒れていた。

帰りの車内、ぐっすり寝入ってしまっていたがふとこんな声が聞こえてきた。

「いつになったら着くんだ!」「出発の時の説明と違う!」「到着時間を正確に答えろ!」等々

サラリーマン風な乗客が車掌さんに詰め寄っていた。

最寄駅に予定時間を大幅に遅れて到着し、改札に向かった。

そこでも

「こんなに遅れてどうしてくれるんだ!」「なんでこんなに遅れたんだ!」等々

小さい子供もいる家族連れのお父さんが駅員さんに詰め寄っている。

サラリーマンの方もお父さんもどちらもすごい剣幕

言い方がすごい

どちらも仕事の都合や色々な諸事情があり困る事があったのだろう。

もしかしたら駅員さんや車掌さんの対応にちょっと問題があったかもしれない。

しかし

電車が運休・遅延してしまったのは風のせいである。

駅員さんや車掌さんが風を吹かせているのではない。

 

「ようく思い出してごらん あなたの家庭に他人を褒める習慣があったかどうか」

故阿久悠さんの言葉。

「テレビの出現以来からか、日本人は他人を悪く言い、しかもそれで家族の連帯まででき、どこの家庭でも極上の歓

びとしてこれをやってきた。そして、月日が流れ五十年間の習慣が一代・二代と家風のように受け継がれ、少々はし

ゃいだ鬱憤晴らしの茶の間タイムのおかげで、他人を褒めるとか、敬意を払うということを忘れてしまった。

生れて物心ついてから、他人を悪く言って楽しむ快感に浸っていると、自分以外の人間に敬意を払い、尊重するとい

うことは身につかない。

今、社会が壊れている。溶解していると書く人もいる。只事ではない。他人との共棲の心を持たないで社会に出てく

るのだから、壊れもするし溶けもする。

その原因はもしかしたら、生まれてこの方ただの一度も家族そろって他人の生き方や才能に敬意を払ったことのない

悪習慣の集積ではないかと思う。

社会の大問題も、病理は他人にあるのではなく、しかも実は小さいのだ。」

 

テレビに向かって、汚い言葉を投げかけても人と違ってテレビはその言葉を返してこない。

気づいたら私もテレビに向かってあーだこーだと色々と言っている。

テレビだけが悪いわけでは決っしてないが習慣は気を付けないと怖い。

知らないうちに身についている。

昨今、否定や批判のほうが優れているとばかりに大きく取り上げられ、皆耳を傾ける。

他人を罵り、侮辱の言葉を吐きかけることによって自分が大きくなったように感じるのか。

「自分だけが正しい」「謝った方が悪い」「他人は敵」等々

怖い世の中。

 

二十一世紀に浄土宗が掲げる劈頭宣言の四句

一、愚者の自覚を(己を省みて、己のいたらなさを知る)

一、家庭にみ光を(あたたかい家庭を築く)

一、社会に慈しみを(優しさに満ちた社会を築く)

一、世界に共生を(共に生きる平和な世界を築く)

これが二十二世紀を迎える頃には少しでも多くの方の「習慣」になればと思う。

みんな不思議な縁で同じ時代に生きている。

一人一人ご先祖様から受け継いできた大切な命。

相手にも大切な方々がいる。

「ようく思い出してごらん あなたの家庭に他人を褒める習慣があったかどうか」

「病理は他人にあるのではなく、しかも、実は小さいのだ。」

合掌

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